象徴主義と芸術のかたち
講座補足ページ
2022年10月8日(土)@東邦大学エクステンションセンターで行われた講座にお越しくださりありがとうございます!
こちらのページでは、当日ご紹介したもののおよそのまとめをご紹介させて頂きます。
もくじ
・講座の登場人物たち
・神話
・詩
・絵画作品
・演奏曲
象徴主義とは
1800年末頃に起きた芸術運動。科学が進歩し、神の存在を疑う風潮が出てきた時、一部の芸術家たちからは、人々や自然の中にある神秘性に目が向けられました。また、フランスの耽美主義詩人W.ペイターの著書「ルネサンス」の中で、「全ての芸術は音楽の状態に憧れる」という言葉がありますが、この言葉こそが象徴主義を表す言葉で、何よりも音楽性を大事にした象徴詩、絵の中に音楽を求めた象徴派絵画、そして音楽によって物事の本質を表す音楽ができました。
エドガー・アラン・ポー
(1809〜1849)
アメリカの象徴派詩人。
アル中、薬中、怠惰、惚れ性、激貧困。新聞に携わって記事を書くチャンスをもらうなど、有名になる足掛かりは何回かあったのに、その都度自己の怠惰癖・酒癖の悪さが出てしまいチャンスを逃す。生前はあまり評価されなかった。怪奇小説や推理小説も人気で「アッシャー家の墜落」などが知られる。実の母、養母、恋をしていた友人の母など慕っていた人をどんどん亡くす。26歳の時に13歳の従姉妹ヴァージニアとの結婚をし、36歳で「大鴉」出版、38歳でヴァージニアを結核で失うが、「大鴉」はヴァージニアに宛てたのではなく、少年時代に付き合っていて、相手の父親からの反対で無理矢理別れさせられてしまったエルマイラのことを思い出しながら書いたとされる。39〜40歳でいろんな人に求婚するが、中でも初恋のエルマイラとは偶然に再会をし、ついに結婚の約束をするが、ポーの死により結婚せずに終わる。
33歳時、イギリスの作家C.ディケンズと会う機会を得て、彼が飼っていたカラス・グリップが死んでしまった話を聞いたことから、「大鴉」のインスピレーションを得る。ちなみにポー自身は「詩論」の中で、「オウムとカラスと迷ったが、不吉な象徴であるカラスにした」と述べている。
「大鴉」の中ではまず「ネヴァーモア」という言葉ができ、それに合わせて恋人の名前が「レノーア」と設定され、それらの響きと韻を踏んだ繰返しにより音楽を作り上げ、こういった詩の中に一定のリズムを作り上げたことが象徴主義の詩の形式となった。
お勧め参考図書:エドガー=A=ポー(佐渡谷重信/清水書院)
シャルル・ボードレール
(1821〜1867)
フランスの象徴派詩人。
アル中、薬中、怠惰、激貧困という、ポーと非常に似通った境遇から、「自分の兄はアメリカにいた!」と言って、約4年間英語の勉強をしてまで彼のフランス語翻訳に取り組んだ。そういったことからも、生前は詩人というよりも翻訳家としての方が有名であった。彼の代表作「悪の華」は自身の経験から生まれた詩であるが、中身が過激なため、生前は発刊禁止を受けた詩もあった。美しい言葉で大衆にわかりやすく話かけたロマン主義の詩とは異なり、彼自身の乱暴な言葉で心の内を綴った詩は大きな批判を浴びたが、マラルメやヴェルレーヌなどにはとても大きな影響を与えた。
働いていないのに見栄のためにお金を使い、常に誰かに無心していた。
お勧め参考図書:ボードレール伝(H.トロワイヤ/水声社)
ステファヌ・マラルメ
(1842〜1898)
フランスの象徴派詩人。退廃的だったヴェルレーヌとは違い、自宅で毎週火曜日に「マラルメの火曜会」と称されるサロンを開き、文化人を中心に文化的な話から新聞の3面記事まで様々なことを取り上げてマラルメ論を披露していた。 最初は知人らの集まりだったが、次第に文化人の特権のようになってきた。参加者は、文人ヴィリエ・ド・リラダン、オスカー・ワイルド、ヴェルレーヌ、メーテルリンク、画家はマネ、ゴーギャン、ドガ、ルノワール、モネ、ホイッスラーなどであった。
マラルメは、ロマン主義で「レ・ミゼラブル」などの作者V.ユゴーがすすめた、わかりやすい言葉で詩を綴る「大衆寄り」の芸術に反対し、「芸術の中でも音楽は特に素人が安直に近寄れないせいなる芸術である。詩もそのような神秘的な力に守られていないといけない」と詩における音楽性を強調した。フランス象徴主義の詩に共通していえるのがこのような「大衆に訴えることを拒絶」 であった。
生きるために英語教師をやっていたマラルメとマネは近所同士で、芸術からの理解の深さからもよく一緒につるんでいた。ボードレール亡き後のポーの翻訳はマラルメが引き継いだが、大鴉の出版時の挿絵は友人だったマネが担当した。
お勧め参考図書:マラルメの火曜会(柏原康夫/丸善ブックス)
エドゥアール・マネ
(1832〜1883)
フランスの画家。印象派に慕われており、たまに印象派に分類されるが間違い。「黒」を貴重とした画風である。当時マネの絵は「草上の昼食」や「オランピア」など女性の裸を扱った作品が出たことから批判の対象になることが多かったが、ボードレールはマネの絵が好きでその作品を支持していた。
お勧め参考図書:印象派の歴史(上・下)(J.リウォルド/角川ソフィア文庫)
クロード・ドビュッシー
(1862〜1918)
フランスの作曲家。「付き合ってくれないのだったら手首切る!」と言い出してしまうようなメンヘラ。女性関係のスキャンダルも多くあり、元カノ2人は自殺未遂までしている。ドビュッシーが最後に結婚したエンマ・バルダック夫人の子供は、フォーレの子供とされている。
ドビュッシー(火曜会常連)とマラルメは尊敬し合っていて、ちょうどドビュッシーがマラルメの詩「半獣神の午後」で曲を書きたいと思っていた時期に牧神の舞台化の話がマラルメにあり、「曲を書いてくれないだろうか」との打診があり、曲が作られた。「音楽の伴奏といったものを書いてみたかったのです」というマラルメの希望通り、詩を邪魔しない、いわばBGMのような音楽ができた。このことからもわかるように、実はドビュッシーが一番影響を受けたのは文学からだった。
こんにち彼は印象派と言われているが、彼自身は(当時世間からは皮肉を込めて呼ばれていた)「印象派」という言葉は自分の音楽の外面的な面を強調しすぎ、深い意味を忘れたうわっつらだけの解釈に人を導くとして、「自分は象徴主義者だ」と名乗っていた。最初に彼が「印象主義」と言われたのは1888年末のアカデミーの書記が提出した書類で、この時も悪意を持って用いられた。 実際に彼は目で見て受けた印象を音楽にしたのではなく、そのもの自体がうちに孕んでいるものを音楽にしたため、象徴主義と言える。
彼が印象主義絵画から影響を受けて書いた作品は実はなく、好きな作品も最初はボッティチェリとモロー、その後ターナーとルドン、その後にドガと日本美術、ロートレック、ゴヤであった。
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お勧め参考図書:ドビュッシィ 印象主義と象徴主義(S.ヤロチニスキ/音楽之友社)
ポール・ヴェルレーヌ
(1844〜1896)
フランスの象徴派詩人。ボードレールに大きく影響を受けた。親から超甘やかされて育ったため、作品からは想像もつかないほど退廃的で暴力的。マチルダという女性と結婚して約一年で、天才美少年チンピラ詩人のアルチュール・ランボーと恋に落ちて駆け落ちするが、別れ話のいざこざでランボーに発砲し、逮捕されるなどの経歴を持つ。
「何よりもまず音楽を」 と言っていた彼も、詩の中に同じ韻を何度も踏むことでリズムを作り上げ、言葉の意味よりもその音楽性を大事にした。同時代のマラルメとももちろん親交があり、象徴主義を「説いた」のがマラルメで「実践」したのがヴェルレーヌである。
彼が作った「月の光」はフォーレとドビュッシーによって作曲されているが、元となったヴェルレーヌの詩はヴァトーの作品を参考にしていたと思われる。ただし、この時代にヴァトーの作品は「シテール島への巡礼」のみしか展示がなく、恐らくヴァトー研究に余念がなかったヴェルレーヌがおそらく版画の「イタリア喜劇の恋」を見て創作したものと思われる。
余談だが、ヴェルレーヌが結婚したマチルダの母はドビュッシーのピアノの先生で、当時ヴェルレーヌ夫妻と同居してたので、子供だったドビュッシーはこの家にレッスンに来ていてランボーにもおそらく会っていると思われる。また、フォーレとも死ぬ少し前に邂逅を果たしている。
お勧め参考図書:ヴェルレーヌ(野内良三/清水書院)
ロベール・ド・モンテスキュー
(1855〜1921)
フランスの「ダンディ」で「世紀末のプリンス」と呼ばれていた。社交会の花形で、芸術家たちのハブ役となっていた。ユイスマンス「さかしま」、プルースト「失われた時を求めて」のモデル。マラルメの擁護者で、ヴェルレーヌの支持者。 また絵画ではモローの大ファンでいくつも作品を持ち、人間嫌いのモローとも仲良がよかった。
フォーレがパヴァーヌを献呈した女性グレフュール夫人はモンテスキューの従姉妹であったが、彼女の家でモンテスキューの霊感に基づいてコンサートが開かれた。その場にはモローもおり、プログラムはフォーレのパヴァーヌ、月の光、子守唄などであった。
貧困にあえぐヴェルレーヌを最後まで支援し続け、最期を看取った。ミュシャのポスターによく描かれている女優のサラ・ベルナールは親友。
お勧め参考図書:1900年のプリンス(P.ジュリアン/国書刊行会)
ガブリエル・フォーレ
(1845〜1924)
フランスの非常に象徴主義的な作曲家。女性関係が派手。サロンでの演奏が多かったため、室内楽曲ばかり書いた。ヴェルレーヌの詩に出会う前と後ではだいぶ作風が変わった。フォーレがパヴァーヌを献呈したグレフュール夫人はモンテスキューの従姉妹で、パヴァーヌの作詞を勧めたのも彼女だった。
モンテスキューからの紹介でヴェルレーヌを知った。「マスクとベルガマスク」に作曲することになった時、編集者に詩を読ませたが「私を含めて誰もこの詩の意味がわかりませんでしたよ。」と半ば馬鹿にされてしまった。彼が曲を書いたことにより、ヴェルレーヌの認知度が大きく上がった。
お勧め参考図書:ガブリエル・フォーレ(M.ネクトゥー/新評論)
ギュスターヴ・モロー
(1826〜1898)
フランスの画家。大衆・世俗が大嫌い、絵画界きってのマザコンで、母親と二人で引きこもり生活をしていた。生涯に渡りファム・ファタル(男を破滅させる魔性の女)を描いた。「さかしま」の主人公デ・ゼッサントはモローを「マラルメとボードレールの中間」と称した。モローもボードレールを愛読していた。
モンテスキューとは絵画の趣味以外にも、あの世に対しての興味が合い、降霊術をよく一緒に行っていた。(当時流行っていて、ユゴーなどもよくやっていた)
「私の作品は言葉によって説明することはできません。ただ少しばかり夢を愛せればいいのです。」 と語ったように、目で見えることを作品には取り上げなかった。
ユイスマンスの「さかしま」で、主人公のデ・ゼッサントが命の次に大切にしているのが「ヘロデ王の前で踊るサロメ」と「出現」で、絵画界には影響がなかったものの、文学史において象徴主義、デカダンス、世紀末芸術という風潮をもたらす。作中でデ・ゼッサントが「世紀末に待ち望まれていた作品/絵画におけるボードレール」と絶賛している。
お勧め参考図書:ギュスターヴ・モロー(鹿島茂/六耀社)
オディロン・ルドン
(1840〜1916)
フランスの画家。 交響曲の画家を自称しており、ワーグナー作品やシューマン、親交のあったセヴラックを描いたものなど音楽に関わる作品も多い。自身もヴァイオリンがうまく、お金がないときはヴァイオリン講師で生計を立てようとしていた。ブレダンという版画家の元で絵を勉強し、「白と黒でも芸術はできる」と確信したことから、前期の作品は白と黒の作品だった。
マラルメと邂逅を果たしている。ルドンは夢で見たことを白黒の絵に描いていたが、その価値観がマラルメと非常に合致した。マラルメの詩に版画をつけて出版する話が進んでいたが、残念ながらマラルメの死によって頓挫。
子供が産まれるとパステル画が多くなり、1902年の手紙では「私は昔のように木炭画を描こうと思いましたがだめでした。それは木炭と決裂したということです。それ以来私は色彩と結婚しました」と述べている。この頃ドビュッシーとも仲良くなり、自作を献呈しあっている。彼は作品に余白を作り、そこに音楽性を見出そうとした。
お勧め参考図書:ルドン生涯と作品(高橋明也監修 山本敦子著/東京美術)
ジョン・エヴァレット・ミレイ
(1829〜1896)
イギリス、ラファエル前派の画家。ラファエル前派とはミレイ、ロセッティ、ハントなど7人のメンバーで「ラファエロより前の芸術こそ至高」という理念のもと結成された流派である。
ミレイはラファエル前派の中では一番出世し、妻との結婚時のスキャンダル(ラファエル前派を擁護した美術評論家ラスキンからの略奪結婚)以外は平穏に暮らした。晩年にはロイヤル・アカデミーの院長も務めたが、ラファエル前派時代に描いた絵が最も評価されている。
お勧め参考図書:ラファエル前派(岡田隆彦/美術公論社)
ウィリアム・ホルマン・ハント
(1827〜1910)
ラファエル前派の一人。彼がイスラエルに絵を描きに長いこと旅に出てしまったこともラファエル前派分散の一因となった。着実に画家として出世したミレイを終生妬み、ごちゃごちゃ悪く言っていた。最後まで「ラファエル前派」の定義に則った絵を描き続けた。
彼の代表作「良心のめざめ」でモデルを務めていた娼婦のアニー・ミラーと婚約していたが、彼がイスラエルに旅している間に同じラファエル前派の仲間ロセッティに寝取られてしまった。その後も別の男性との浮気があったため婚約解消している。ロセッティのことは晩年絵画の腕を「素人」と著述している。
お勧め参考図書:ラファエル前派(R.カール/創元社)
ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
(1828〜1882)
ラファエル前派の一人であり、詩人でもあった。人間関係を壊すレベルで女性関係が派手。ミレイの「オフィーリア」のモデルであるエリザベス・シダル(通称リジー)と結婚するが、ロセッティの派手な女性関係から精神を煩い自殺してります。リジーの死後はアヘン中毒となり、晩年は廃人のようになってしまった。自分の弟子であるW.モリスの妻ジェーンと長年にわたり不倫関係にあった。楽器を持った女性を多く描いているが、意外なことに音楽は「一番我慢できる雑音」と述べるほどに嫌いだった。
お勧め参考図書:ロセッティ(谷田博幸/平凡社)
エドワード・バーン=ジョーンズ
(1833〜1898)
ラファエル前派(特にロセッティ)から大いに影響を受けた、後期ラファエル前派の画家。W.モリスと共に、洗練され、大量生産ではない芸術性を追求した家具・インテリアなどを作り上げ、イギリスの工芸運動「アーツ・アンド・クラフツ」を起こした。ステンドグラスやタペストリーも有名。ギリシャ人モデル、マリア・ザンバコと不倫関係にあったが、別れ話のもつれからマリアが川へ投身自殺を図り、スキャンダルとなった(マリアは死ななかった)。
お勧め参考図書:バーン=ジョーンズの芸術(B.ウォーターズ、M.ハリスン/晶文社)
ウィリアム・モリス
(1834〜1896)
イギリスのデザイナー。オックスフォード大学でバーン=ジョーンズと知り合い、生涯の親友・仕事仲間となった。よく話し、グループのいじられ役。バーン=ジョーンズらと共に「モリス商会」を立ち上げ、自らもデザインを担当した。のちに妻となるジェーンと初めて出会った時はロセッティも一緒で、この時既にリジーと婚約中だったロセッティもジェーンに恋をしたとされる。馬丁の娘だったジェーンは裕福な人と結婚せざるを得ず、モリスと結婚したとされる。なお、モリスは終生ロセッティと自分の妻の不倫に言及することはなく、苦悩しながら過ごしていた。彼がジェーンと結婚するときの「I can't paint you, but I love you.」という言葉が有名。
お勧め参考図書:ウィリアム・モリス伝(P.ヘンダースン/晶文社)
ジョン・ラスキン
(1819〜1900)
イギリスを代表する批評家。J.W.M.ターナーの大ファンで彼を絶賛する本を書いた一方、コンスタブルを痛烈に批判するなど、あまり信用できない。ターナー亡き後、大して知らなかったラファエル前派を擁護し、新しい名声を得た。晩年はホイッスラーとの裁判に負けて信用も失墜した。妻エフィー・グレイとミレイと共に旅行に出かけたところ、ミレイとエフィーが恋愛関係になってしまった。彼女とは結婚後もプラトニックな関係だったため、離婚裁判で「夫婦関係が成立していなかった」と訴えられ離婚が成立し、エフィーとミレイが結婚した。
お勧め参考著書:ラスキン(Q.ベル/晶文社)
セルゲイ・ラフマニノフ
(1873〜1943)
ロシアの作曲家。生前はピアニストや指揮者としての活動が非常に多忙だったため、曲数は他の作曲家と比べると少ない。1905年に「自由芸術家宣言」に署名したことから、帝政ロシアから危険人物として扱われ、ついに1918年1月(西暦)に10月革命後のロシアから逃れるため、アメリカに亡命して活動拠点をアメリカに置いた。勉強すればするほど、「遅れてきたロマン派」という見識が間違いであるとわかるほど象徴主義。特にヴォカリーズはロシア象徴主義の理念のひとつ「言葉の意味からの解放」がよく見られる。
お勧め参考図書:ラフマニノフ 生涯、作品、録音(M.ハリソン/音楽之友社)
アーノルド・ベックリン
(1827〜1901)
スイス象徴主義の画家。自然と神話が結合した作品や、「死」を取り扱った作品を多く残す。この「ヴァイオリンを弾く死神がいる自画像」は、ヴァニタス(人はいつか死ぬんだよという虚しさ)を描いたものではなく、仕事中に、墓の彼方から芸術家に霊感を与える音が聴こえてきた瞬間を描いたものである。
お勧め参考図書:音楽を目指す絵画(隠岐由紀子他/講談社)
詩
ポー「大鴉」
独りきりの深夜のこと、私は、考え込んで、弱り疲れて、
忘れ去られたたくさんの奇妙で物珍しい伝承の本ゆえに
眠りに近く、まどろむ頃合、不意に何かが来て叩いている
何者かが優しくこつこつと、私の部屋の扉をこつこつと叩いている。
「来客がいるのか」私は呟いた。「部屋の扉がこつこつと叩かれている
それだけのことか、nothing more(他には何もない)。」
あぁ、はっきりと覚えている、それは寂しい12月のこと。
そして、消え行く燠火が、床の上に亡霊を照らし出した。
夜明けをひたすら願った。本を繙(ひもと)くことで、
悲しみを遮ろうとするも虚しく―レノアを失ったゆえの悲しみを。
天使たちがレノアと名づけた、たぐい稀なる輝く乙女。
今は名こそない、evermore(永久に)。
そしてつややかな悲しみは、とりまく紫のカーテンのざわめきに覆われて。
私は慄いた。今までに感じたことがない、稀なる戦慄で
そして今。心臓の鼓動を高ぶらせながら、立ち尽くして繰り返す、
「わたしの部屋の扉の入り口で入りたいと哀願する訪問者の誰か―
わたしの部屋の扉の入り口で入りたいと哀願する遅い訪問者は誰か―
それだけのことか、nothing more(他には誰もいない)。」
やがて私の魂は強くなり、躊躇うこともなくなり、
「どなたか、」私は言った。「或いはご婦人よ、赦してくれたまえ、お願いする。」
しかし事は私は居眠りし、じっくりドアを叩く音。
そして幽(かす)かに、戸を叩く音。私の部屋の戸を叩く音。
「私はたしかに聞いたのか、おぼつかない。」 そして私はドアを広く開けた。
暗闇がある。nothing more(他には何の音もない)。
その暗闇の底深く、長らく私はそこに立ち、いぶかり、震えながら、
疑い深く、いままで誰も夢見ようとはしなかった夢を夢見ながら。
しかし静寂は破られない、暗闇はなんの兆しも与えなかった
そして、語られたたったひとつの言葉、囁いた言葉、「レノア!」
これは私の囁き、そして木霊がつぶやき返した言葉、「レノア!」
ただそれだけ、nothing more(他には何の言葉もない)。
部屋の中に引き返す。私の中で魂が燃え盛らる。
すぐにまた叩く音を聞いた、たぶんさっきより騒がしい。
「確かに、」私は言った。「確かに私の窓格子に何かいる。
見てみよう、何がそこにあるのか、そしてこの不可解を探ろう。
少しの間、心を平静にして、そしてこの不可解を探ろう。
これは風。nothing more(他には何も見つからない)。
窓を開け雨戸を押し広げ、その時、戯れ翻めく音。
そこには、過ぎし聖なる日々の、厳かな大鴉が歩んでいた。
彼は少なからず誇らしげで、止まるというより彼は佇んでいた。
しかし、王か妃の風格で、私の部屋の扉の上に止まった。
まさに私の部屋の扉の上、アテナの胸の上に止まるよう
止まり、座った。Nevermore(他には何もしない)。
そしてこの漆黒の鳥は私の哀しい夢を、微笑みにと紛らわせている、
重々しき、荘厳な礼節を風貌に纏って。
「そなたは鶏冠(とさか)を剃り刈られども、」私は一言申し添える。「怯えのかけらもないものか。
恐ろしく邪悪な古えの大鴉、夜の淵より迷い込んで、
夜の冥界の淵での、あなたの尊名はなんと言う!」
大鴉は呟いた、「Nevermore(二度と答えぬ)」
このみすぼらしい鳥が、きっぱりと会話することに、大いに私は驚嘆した。
にもかかわらず、その答えの意味は少なく、手がかりも僅か。
人が生きることにも手助けとはならない
扉の上に止まる鳥を見ることに恩恵があるものか
部屋の扉の上、彫刻の胸像の上の鳥か獣
「Nevermore(けしてない)」という名前の
しかし静穏な胸像の上に孤独に居座る大鴉は、語るのみ、
それは一つの言葉、まるでそのひとつの言葉は、彼の内なる魂のほとばしり。
それ以上には何もひとつも語らない。羽根一つも羽ばたかせず。
消え入りそうに私は呟いた。「他の友人たちも飛び去った、
明け方には彼は私を置き去りにするだろう。私の希望が飛び去ったように。」
すると、鳥は言った「Nevermore(去りはしない)」
静寂を破る流暢に語った答えに驚き。
「疑いもない」と私は話した。「ただ一つ仕込み蓄えただけに違いない。
災厄を被った不幸な主人に捕われたのだ
素早く従い、瞬く間も無く迅速に彼の重荷を嘆く歌を倣ったのだ。
憂愁に苛まれた彼の望みの哀歌を
それは、「Never-nevermore(二度と、二度といやだ)」
それでも大鴉は私の哀しい魂を微笑みにと紛らわせている、
まっすぐ鳥の胸像の扉の前に置かれた安楽な椅子によろめき寄り、
それからわが身を任すようにビロードの中沈み込んだ
妄想は限りなく、この不吉な鳥に考えをめぐらせて
この険悪、ぶざまな、凄惨な、やせこけた、そして不吉な鳥
「Nevermore(出来はしない)」としゃがれた声鳴く
そして私は思案を決めた、言葉も発することなく。
今私の内なる芯を燃やした火のような視線の鳥へ:
そしてその時私は悟り、頭を寛らげ凭れる。
ランプの灯りが満ちたりたように、ビロード張りのクッションを照らし、
ランプの灯りが満ちたりたように、誰かの紫色に張りられたビロードを照らし、
彼女が凭れる…あぁ、Nevermore(二度とあるものか)!
かくて、考え込んだ。空気は重々しく、ひと知れぬ香炉からの芳香、
熾天使が舞う、ふさ敷きの床を踏み鳴らしながら
「哀れ者、」私は叫ぶ。「神が遣わしたのか―この天使たちを私に寄越したのか。
落ち着け、落ち着いて、レノアの思い出を偲んで麻薬をとろう、
呑もう、この優しきネペンテを呑んで、この失ったレノアを忘れよう!
大鴉は呟く、「Nevermore(もうけして出来ぬ)」
『預言者よ!』私は言った、『邪悪の使い! – 預言者にして、鳥か悪魔!
いかなる誘惑があろうと、この浜辺(世)に嵐が猛ろうとも
寂しき思いは揺るぎもない、この荒涼たる地に魅せられて
恐ろしき幽冥たるこの館にあって、真に語り給え!
どこに - ギリヤドの香油はどこにある?真に語り給え!
大鴉は呟く、「Nevermore(どこにもない)」
『預言者よ!』私は言った、『邪悪の使い! – 預言者にして、鳥か悪魔!
わららがともに慕う神がおわす、われらの上に弛む天国のもとで
彼方のエデンの園にあって、この魂が哀しみに満ちていようとも、
天使たちがレノアと名付けた、聖なる乙女は(神に)抱かれて
天使たちがレノアと名付けた、稀にして燦然たる乙女は(神に)抱かれているのでは?
大鴉は呟く、「Nevermore(そうではない)」
「その言葉はわれらの決別の徴。鳥か悪魔!」突如私は叫ぶ。
「嵐の中へ帰れ、夜の冥界の岸辺へ!
おまえが語った嘘を印した黒い羽(は)ひとつ残さずに去れ!
揺るぎもない寂しき思いをそのままに、扉の胸像から引き払え!
私の心からその嘴を抜け!扉を閉めて還るのだ!
大鴉は呟く、「Nevermore(けして去らぬ)」
そして大鴉は身動(じろ)ぎもせず、静かに座りつづけ、居続けている。
私の部屋の扉の上のアテナの青白き胸の上、
そして夢見た魔物の眼差しそっくりの眼を具えて
そしてランプの灯りが彼の影を床の上に浮かび上がらす。
そして床の上に揺らめくその影から離れている私の魂
立ち上らない。「Nevermore(二度と)」
ボードレール 「悪の華」より25
お前は自分の閨房に全宇宙でも引きずり込む積もりだ、ふしだらな女よ!
倦怠がお前の心を残忍化する。
この希代な戯れに歯を慣らすため
毎日お前は一つずつ心臓を噛み潰す必要を持つ
見世窓か、夜祭の燈明台のようにきらつくお前の瞳は
持ち前の美の法則は知らぬげに、
徒(いたずら)に、借りたものの権力ばかりふりまわす。
聾で盲で、意地の悪いが特徴の機械よ!
世界の生き血を飲み尽くす衛生器具よ、
どうして恥ずかしくないのか、よくも鏡を見るたびに顔色を失わずにいられるのだ?
おお、女よ、おお、罪の女王よ、
下賤な獣、お前を道具に 一人の天才をでっち上げる時も時、
心得顔でいた悪の偉大さをまのあたりに見て 愕然とたじろがずにいられたものだ?
下劣極まる偉大さよ!崇高極まる屈辱よ!
マラルメ「半獣神の午後」
あのニンフたちを、永遠のものとしたい。
あんなに明るい、
彼女たちの肌の薄紅色が、
群がりくる眠気で気だるい大気の中でちらちらする。
私は夢を愛していたのか?
私の懐疑は、古くからの夜の堆積で、いまや無数の細かな
小枝となり、真実の森のままとどまって、
ああ、私が独りよがりにも観念の薔薇を思いあやまって
勝利として自らに捧げたことを証し立てる――
とくと思い返してみよう・・・
お前が述べたてる女たちは
お前の官能の望みが激しいあまり、それを象ったのではないのか!
牧神よ! 幻影はいとも純潔なニンフの、涙の泉のような、青く
冷たい眼からは消え失せる。
だが、もう一人の吐息ばかり漏らすニンフの方は違って、
お前の肌毛にこもる真昼の熱い微風のようだと、お前は言うのか?
そうではない! いかに競うとも、さわやかな朝は熱気に息がつまり
身動きもならず、ぐったりと失神するなか、水音は囁かず
私の葦笛だけが調べを茂みに注ぐ。そして唯一の風は
葦笛の対の管から洩れ出でて
乾いた雨の中へ音を撒き散らすより前に立ち昇り、
なびくもの一つない地平線のあたりで、
眼に見える、晴れやかな
霊感の人工の息吹となって、空へとまた還っていく。
おお、静まりかえったシチリアの沼の岸辺よ、
日々の太陽と競って、私の自惚れが掻き乱そうと
火花のような光のもとで静まりかえる岸辺よ、語ってくれ
「私はここで、力量にあった空ろな葦の茎を
手折っていた。そのとき、金緑色の木が葡萄の房を
泉に捧げるように垂らしているはるか遠くで、
真っ白な生きものが憩いながら揺らいでいた。
葦笛がゆるやかな序曲を奏ではじめるや、
白鳥たちが飛び立つ、いや! ニンフが逃げたのだ、
それは水に潜り・・・」
なにも動かず、すべてが鹿毛色の時の中で燃え
蘆笛で調音のLaを探るお前の強引な合体の願いが
どんな仕業で一斉に消え失せたのか分からない。
だがこの時こそ、私は初めての意欲に目覚めるはずではないのか、
太古の光の波の下で、ひとり、すっくと立ち、
百合よ! 私も穢れなく、お前たちの一つとなって。
二人の唇がもらす甘い虚しさではなく
不実なものさえそっと安心させる口づけは、
私の胸には何のしるしもないのに
おごそかな歯の神秘な噛み痕をたしかに実感させる。
だが、それよりも、秘法が心を許す友として選ぶのは
青空のもとで奏でる一対の太い葦笛。
それは、頬に感じる悩みを引き受け、
長い独奏のうちに、まわりの美しさと
私たちのつまらぬ歌の美を混同して
楽しむことを夢見る。
そして、愛がその模様を指で描くのと同じあたりを
私は閉じた眼で追い、背中や
あるいは純白の脇腹の月並な夢から、
よく響くが、むなしい単調な線を消し去ってしまうのだ。
だから、遁走の楽器よ、おお、意地悪なシュリンクス、パンの笛よ、
お前が私を待っていてくれる沼辺で、また葦に生え変われ!
この私は、自分の噂を自慢にしながら、ニンフたち女神のことを
いつまでも語るとしよう。そして偶像のように描いた
彼女たちの影から腰帯をまた抜き取ろう。
そうして、葡萄から透明な光の汁をすすったとき、
私は見せかけの陽気さで悔しさを追い払うために
笑いながら空っぽの房を夏空に差し上げて
輝く皮の中へ息を吹き込み、酔いを
渇望しつつ、夕暮れまでそれを透かし眺める。
おお、ニンフたち、さまざまな思い出をまた膨らませよう。
「私の眼が葦の間をつらぬいて、不死の二人のうなじを突き刺せば、
怒りの声を森の空に響かせて、ニンフたちは熱い傷口を波にひたす。
そしてまばゆい髪の沐浴は
煌きと慄きの中に消えうせる、おお、宝石よ!
かけ寄ってみれば、私の足元に、抱き合って(二人で
いる邪な喜びがもたらす気だるさに死んだようにぐったりとして)
大胆に絡んだ腕の中で眠っている二人。
私は彼女たちを引き離しもせずに抱えあげ、飛び込んだのは
わずかな木陰も嫌う、あの薔薇の茂み、
薔薇は太陽に芳香をことごとく涸らし、
そこでの私たちの戯れは真昼日が燃えつきるのにも似ていたか。」
私は処女たちの怒りを讃える、おお、野生の快楽よ
裸の聖なる重荷は私の燃える唇をさけようと
するりと滑り抜ける、稲妻のように!
肉の秘密の恐れを飲み下して。
非情な女の足許から、内気な女の心へと伝っていけば
両方ともに無垢な気持を捨て去り、
狂おしい涙か、悲しみの少ない湿り気に濡れる。
「私の過ちは、この隠しきれない恐怖を征服した喜びで
神々がたくみに絡ませた乱れた髪の房を
接吻しつつ掻き分けたことだった。
つまり、一人の方の好ましい身体のうねりの下に
私が熱い笑みを押し隠そうとしたそのとき(幼くて、初心な、
顔を赤らめさえしない妹の方は、燃える姉の興奮につれて、
羽のような純白さが色に染まるように、
一本の指だけで押さえていた。)
両腕の力がわずかに抜けて、
まったく恩知らずのこの獲物たちは、身をひるがえした、
私がまだすすり泣く陶酔のなかにあることなど意にも介さず。」
残念だが仕方がない! 別のニンフたちが私の額の角に
結びつけた編髪で、私を幸福へと連れて行ってくれるだろう。
私の情念よ、分かっているだろう、赤紫色に熟れた
石榴は弾け、蜜蜂は唸り、
そして私たちの血は、それを吸い取ろうとするものに夢中となり、
次々に生じる欲望の塊に向かって流れて行く。
森が黄金色とそして灰色に染まる時刻
暗くかげった葉陰では祭りが高潮に達する。
エトナ! 悲しき眠りが突如轟き、炎が燃え尽きようとするその時
ヴィーナスが訪れて、その清純な踵を降ろしたのは、
お前の山中の溶岩の上だ。
私は女王を抱く!
おお 罰は必至だ・・・
いや、少なくとも
魂は言葉を失って空っぽとなり、身体はぐったりと重くなって、
やがて真昼の勝ち誇った沈黙に屈伏する。
いっそこのまま、冒涜の言葉も忘れ、乾いた砂に打ち伏して
ただ眠ることだ、葡萄酒を芳醇にするお天道さまに向けて
口を開けているのは、なんと快いことか!
さらば、二人のニンフよ、幻となったお前たちを夢見るとしよう。
ヴェルレーヌ「月の光」
そなたの心はけざやかな景色のようだ、そこに
見なれぬ仮面して仮想舞踏のかえるさを、歌いさざめいて人々行くが
彼らの心と手さして陽気ではないらしい。
誇らしい恋の歌、思いのままの世の中を、
鼻歌に歌ってはいるが、
どうやら彼とて自分たちを幸福だと思ってはいないらしい
おりしも彼らの歌声は月の光の中に溶け、消える
枝の小鳥を夢へといざない、大理石の水盤に姿よく立ちあがる
噴水の滴の露を歓びの極みに悶え泣きさせる
かなしくも身に沁みる月の光に溶け、消える。
R.d.モンテスキュー
フォーレ「パヴァーヌ」の歌詞
ランドルよ! ティルシスよ! そして我らを組み敷く一統よ!
ミルティルよ! リデよ! 我らの心を奪う女王よ!
奴らのなんたる挑発、いつもなんたる冷血!
我らの命運と生活、牛耳ろうとはなんたる僭越!
気をつけろ!
わきまえろ分別!
おお忌まわしき侮蔑!
さほども弛緩なき進行!
そしてかほども確実なる破滅!
我らは必ず奴らを黙らせてくれよう!
我らは日ならず奴らの下僕とされよう!
なんと醜い奴らよ!
いとおしき面差し!
なんといかれた奴らよ!
うるわしき眼差し!
そしていつも同じ!
そしていつもこう揃う!
愛し合う! 憎み合う! おのが恋を呪う!
愛し合う!
憎み合う!
おのが恋を呪う!
さらばミルティルよ! エグレよ! クロエよ! ふざけた悪魔の一党よ!
いざさらばそしてご機嫌よう、我らの心を灼く暴王よ!
そしてご機嫌よう!
祝福された乙女/D.G.ロセッティ
天つ乙女はのりいだす、
天なる国の黄金の高欄から。
その眼は夕べに静まる海の深みより深く、
手には三つの百合の花、髪を飾るは七つ星。
襟留めから裾まで帯紐なしの外衣には
刺繍の花一つとてなく
ただマリアより授かりし白薔薇のみ
御仕えの身にふさわしく帯びている。
背に流れる髪房は稔りの頃の麦畑の黄色。
神の聖歌隊の一員となって
一日経つか経たぬかと思う乙女のその静かな眼差しから
驚きの気色はまだ消えていない。
だがその一日は、残された者どもには早十年と数えられた。
(わが身には日が年と思える十年だ…だが今、まさにこの場所で
確かに彼女がわが身の上にのりいだす−
髪がわが顔に垂れる…なんでもない。秋の落ち葉だ。
一年が足早に暮れていく)
乙女が立つのは神の宮居の城壁の上。
宇宙の始まる、切り立つ深みの上に
神によりて建てられしもの。
あまりに高く、そこから見下ろしても
乙女にはかろうじて太陽が見えるのみ。
宮居は天の御国に、エーテルの大河を橋のようにまたいでいる。
その下では昼と夜の潮流が
焔と闇とで虚空に畝(うね)をなす。
その低きあたりにこの地球は
落ち着かぬゆすり蚊の如く転めく。
乙女の周りでは、不死の愛を讃える声につつまれ
新たに出会いし恋人らが胸に憶えた互いの名を
二人の間で絶えずささやき交わす。
神のもとへと昇る魂は仄かな焔の如く傍らを過ぎゆく。
乙女はいまだ身を屈め
護符の巡りの外へのりいだす。
やがて乙女の胸乳がもたえた桟を温めるまで。
かの百合のまどろむように乙女の曲げた腕に寄り添う。
天国の不動の場所から乙女は
時が脈拍の如く激しく震えて
世界を通り抜けるのを見た。その眼差しは
まだ深海の中を貫き
底を見通そうとしていた。そして今語り出す、
まるで星がおのおの天球層に歌うが如く。
今、太陽は消えた。くるりと曲がった月は
小さな羽根のように
湾を遠くまで震えて進む。今
乙女は静かな気象の中を語り出す。
その声は、星々が共に歌った時
星々が持っていた声のよう。
(ああ、妙なるかな!今まさにあの鳥の歌の中で
他ならぬあの人の声音が
何とかわが耳にとどこうとしなかったか?あの鐘が
真昼の大気を満たした時
あの人の足取りがそのこだまの階段を下りて
わがそばにたどり着こうとしなかったか?)
「あの人は私のもとに来てくれればいいのに。
いずれ来るのだから。」乙女は言った。
「私は天にあって祈らなかったでしょうか?−地上では
主よ、主よ、あの人は祈らなかったのですか?
二つの祈りは完璧な力ではないのですか?
私は恐れをおぼえねばならぬのでしょうか?
「あの人の頭に光輪がつき 白い衣に装ったら
私はあの人の手を取って、いっしょに
光の深井戸へ行きましょう。
私たちはそこで、川へ入るように降りていき
神様が見守る中、沐浴しましょう。
「二人してあの祠の傍えに立ちましょう。
神秘的で人目を避けた、誰も足を踏み入れぬ
あの祠の燈火(ともしび)は、神の御前に送られる祈りに
絶え間なく揺れています。
私たちのかつての祈りが、叶えられ、
ひとひらの小さな雲のように溶けるのを見ましょう。
「二人してあの活きている神秘の樹の
影の中に横たわりましょう。
その秘密の茂みには鳩の姿の精霊の気配が時に感じられ
その羽根が触れた木の葉は主の御名を、聞こえるように語ります。
「そして私自身があの人に教えましょう、
こんなふうに横になって、私自ら、
ここで歌われる歌を、途中であの人の声は
静まりゆるやかになって途絶え、
途絶えるたびに何かの知識
あるいは知るべき新しいことを見つけるでしょう」
(ああ!二人して、二人してと言ってくれるのか!
そうだ、君は僕と一つだった、
あの過ぎにし日々には。だが神は
終わりない合一へと持ち上げて下さるだろう、
君の魂と似たところと言えば
君への愛しかないようなこの魂を)
「二人して」と彼女は言う、「聖母マリアの
おわします木立を探しましょう。
おそばには五人の侍女、その名は
五つの甘美な交響曲、
セシリー、ガートルード、マグダレン、マーガレットにロザリス。
「方々は輪になって坐っておられる、髪をまとめ
額には花輪を飾って。
黄金の糸を焔のように白い
きめ細かい布地へと織り上げ 産着を作っておられる。
死して生まれし者のために。
「あの人はたぶん恐れ、口をつぐむでしょう。
そうしたら私は頬をあの人の
頬に寄せ、二人の恋の話をしましょう、
かつて恥じらわず弱くなかった恋のことを。
愛しい聖母さまは私の驕りを
佳しとして、語らせて下さるでしょう。
「マリアさま御自ら、手に手を取った私たちを
主のもとに連れて行ってくださるでしょう。主の周りには
あらゆる魂が跪き、きれいに並んだ無数の頭を
光輪と共に垂れている。
私たちと出会う天使らは
シターンやシトールに合わせて歌うでしょう。
「そこで私は主キリストに願いましょう、
あの人と私のために、これだけは。
ただかつて地に在りし頃の如く
愛と共に生きること、ただ
あのつかの間の日々と同じく、此度は永遠に
私とあの人が、共にあることを」
乙女は見つめ、耳を澄ませて言う、
悲しげというより穏やかな口ぶりで−
「すべてはあの人が来たときのこと」乙女は黙す。
すると震える光が乙女の方へ近づいた。
翼さしのべ力強く飛ぶ天使らに充ちた光が。
乙女は眼に祈りを込めて微笑んだ。
(あの人の微笑が見える)やがて光の尾は
遠い天球層のあわいに消えた。
すると乙女は黄金の柵沿いに
両の腕を差しのべた。
そして顔を掌に多い
泣いた。(あの人の涙が聞こえる)
鐘のさまざま/E.A.ポー
1
そりについたたくさんの鈴の音をお聞き−
銀の鈴だよ!
その音色は、これからの楽しい遊びを告げている!
それが夜の冷たい空気のなかで
なんとよく響くことよ、りん、りん、りん!
そして夜空には、いっぱいちらばる星々が、
澄みきった喜びに
きらきら光っている!
魔法の呪文に合わせるかのように、
そりから湧き出る鈴の音りん、りん、りんに
調子を合わせるように
チカチカチカチカ光っている−
その鈴の音に、鈴の音に、鈴の音に、
鈴のりん、りん、りんの音に
合わせるように
2
今度は豊かな結婚の鐘をお聞き−
金の鐘だよ!
その鳴りわたる鐘の合唱は豊かな幸福を告げている!
香わしい夜の空気のなかを通って
なんとよく二人の喜びを鳴らしていることか!
その融けた金のような音からは
そのメロディからは
なんと優しい詩がただよってくることか。
それを山鳩が聞いている
月をうっとり眺めながら!
ああ、その鐘の響からは
なんとたくさんの美しい音があふれてくることか!
それは溢れる!
二人を、未来に連れてゆく
二人はうっとりと
鳴りひびく音に聞きいる−
ああその鐘の音!
鐘の音、鐘の音、鐘の音
その鐘の音、鐘の音、鐘の音が
それらの鐘の響きと歌が
二人を陶酔に誘っている!
3
次は喧しい火事の鐘−
銅製の鐘だ!
さてこの狂った音色はどんな恐怖を告げることか!
夜の闇をつたわって人々の驚く耳に
恐ろしいぞと叫びつづける!
恐ろしさに言葉にならずに
ただ調子ぱずれに叫ぶ、叫ぶ
調子ぱずれに
火の威力をなだめて悲鳴の声をあげている−
耳にも貸さぬ火の暴力をなんとかなだめようと頼んで
鐘の音は高く、高く、高く跳ねあがる
必死の願いで
決死の行動で
いま−いまこそ−それは
青ざめた月の横に座ろうとする!
おお、鐘の音、鐘の音、鐘の音!
なんとまあその恐怖は
切迫した夜の空気の中で、
絶望の音を伝えることか!
ひびく、叫ぶ、金切り声で唸る!
ふるえる大気の奥に
なんたる恐怖をそそぎこむことか!
それでも聞く耳は響く音の調子で
危険がどこまで来たのか、
遠のいたのかを、よく知るのだ−
聞く耳ははっきりと、
じゃーん、ぐゎーんのなかに
危険がどれほど静まったか高まったか知るのだ
鐘の音のふくれ具合、沈み具合で、よく知るのだ−
おお、鐘よ、鐘よ、鐘よ−
鳴りわたる鐘の音に、
鐘の音に、鐘の音に
その鐘の音の響きに、鳴る音に−
4
こんどは葬儀の鐘の音
鉄の鐘だ!
その葬送の鐘は厳しい思いをあふれさせる!
夜の静けさのただなかで
ひとは悲しい調べの意味を聞いて、ふと
恐ろしさに胸をふるわせる!
その鐘の奥から、
錆びついたような音で伝わってくるのは
ひとつの呻きだ。
そしてあの者たち、
あああの高い鐘楼に
彼らだけで住む鬼たちは、みんな
あの陰気な音を
ごんごん撞きだして
人間の胸の中に
重い石を転がすことで、
とても得意になっているのだ
彼らは、男でも女でもない−
野獣でも人でもない
あれは幽鬼たちなのだ−
彼らの王様があの鐘を鳴らすのだ−
そして彼は鐘で死の祝い歌を鳴らすのだ
ぐぁらん、ぐぁらん、ぐぁらん!
撞きだす勝利の歌で彼の胸はふくれる!
そして彼は踊り、喚く−
魔法の呪文に合わせて
調子をとりつつ鳴らす−
鐘の音を古代の調べに合わせつつ
勝利の歌を
鐘の音に、鐘の音に、鐘の音に、
調子をとり、調子を合わせつつ
葬儀を知らせる鐘をつく、ああ彼は
鐘をつく、鐘をつく、葬儀の鐘を
魔法の呪文の調子ににせて、
鐘が鳴る
鐘が、鐘が、鐘が鳴る、
嘆きと悲しみの鐘が鳴る
幽鬼の王様が
鐘をつく、鐘をつく、鐘をつく!
魔法の呪文の調子に合わせて!
鐘が鳴る、鐘が鳴る、鐘が鳴る−
おお、鐘の音、鐘の音、鐘の音
嘆きと呻きの鉄の鐘の音。
以下は講座ではご紹介しませんが、補足としてこちらに載せます。
ヴェルレーヌ「Never More」
(ポーの「大鴉」を知って書いた、ヴェルレーヌの同名の作品です。)
追憶が、わたしをどうしようというのだろう
秋、ツグミが風に吹かれて舞い上がり
太陽はモノトーンの光を放射する
北風のために黄ばんでしまった森の木々に
あの時、私たちは夢見ごこちで歩いていた
ふたりだけで、髪も思いも風にゆだねて
すると突然私に向かって眼差しを向け、彼女はいった
あなたにとって最良の日々とはいつのこと?
やさしくも豊かな声は、天使のようにさわやかに聞こえた
わたしは慎ましやかな微笑を彼女に返すと
その白き手に、心をこめてくちづけした
手にとった初々しく芳しき花々を差し出すと
わたしの思いに答えるように、彼女は愛らしき唇から
ささやくような声を返してくれたのだった、いいわ!
ヴェルレーヌ「落葉」(上田敏 訳)
(日本の象徴派詩人に代表される上田敏の名訳のひとつです。
上田敏が訳した詩は全て日本古来よりある五七五のリズムになるよう翻訳されています。
それなのに意味が大きく改変されていないので驚愕です!)
秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな
神話
講座内で取り扱う神話を簡単にまとめています。
サロメ
新訳聖書の中のお話。当時その場所の統治者・ヘロデ王に捕まってしまった、キリストを洗礼したヨハネ。ヘロデ王は祝宴の中で、実はちょっと気になっている妻の連れ子サロメに「踊ってくれたらなんでも欲しいものをやろう」と約束する。サロメは妖艶な踊りをし、母親からそそのかされた通り、ヘロデ王に「ヨハネの首が欲しい」と望む。約束を破ることができず、ヘロデ王は牢に繋がれたヨハネの斬首を命じ、サロメはお盆に乗せられた首を受け取る。
実は聖書にはサロメに関する詳しいことは書かれておらず、うら若き乙女と生々しい首という組み合わせが多くの芸術家のインスピレーションとなり、多くの作品が出来上がった。ただしよく似たシチュエーションで、自分の体を使って敵将を欺き、首を切り落としたユディトの話がある。絵画において、お盆の上に首が乗っていたらサロメ、直接むんずと生首をつかんでいたらユディトである。
ガラテイア
ギリシャ神話。シチリア島でニンフのガラテイアは青年アーキスと恋に落ちた。しかしガラテイアはずっと一つ目の巨人キュクロプスから言い寄られており、この事実を知ったキュクロプスは大きな岩をアーキスに投げつけると潰して殺してしまった。ガラテイアがその岩に触れると、岩が割れてアシが生い茂り、アーキスの流した血は川となり、アーキスは河神となった。
プロセルピナ
ギリシャ神話。冥界の神プルート(ハデス)は地上にいたプロセルピナを誘拐し、無理矢理結婚してしまう。冥界にいるとき、プロセルピナはザクロの実を食べてしまい、「冥界にあるものを食べた者は冥界に属す」という信じられない決まりから、一年の半分を冥界で過ごすこととなってしまった。母ケレースは豊穣の神なので、娘が冥界にいる秋と冬は嘆いて過ごすため作物ができず、娘が地上に戻ってくる春と夏は喜んで過ごすため作物ができると言われている。
半獣神の午後/E.マネ
豪華初版本約200部の内20部は、日本からわざわざ取り寄せた和紙を使った。マラルメは新聞の通信欄で「紅と黒の二色の木版刷は、ヨーロッパで初めて日本版画を模倣したものである。」と述べている。
イタリア喜劇の恋
/A.ヴァトー
ヴェルレーヌ存命時に展示されていたヴァトー作品は、ドビュッシーが「喜びの島」を作るきっかけとなった「シテール島への巡礼」だけだったため、この絵は版画で見たと思われる。ロココの絵画で画面に月(右上)が描かれるのは非常に珍しい。
モンテスキュー肖像画
/J.M.ホイッスラー
この絵に、「見たら魂を吸われる」という噂がまことしやかに立ち、「幸福の王子」などの作品で知られるO.ワイルドが、歳を取らない美しい謎の主人公を描いた「ドリアン・グレイの肖像」を書いた。
出現/G.モロー
サロメ・シリーズの一つ。フランスロマン主義の作家V.ユゴーの家に、彼による飛んだ生首の素描が飾られていたが、当時モローがご近所さんだったこと、この絵と構図が似ていることから、その絵を参考にした可能性が指摘されている。サロメ以外は誰も首に気が付いていない。
ヘロデ王の前で踊るサロメ
/G.モロー
絵の中には「高慢」を意味する白鳥の羽根や、権力を意味するヒョウが描き込まれている。
オイディプスとスフィンクス
/G.モロー
スフィンクスを生涯で何度も取り上げ、自分の妄執であると語った。(女は強く能動的で男は無力に受動的)
絵画の中心は「正義」「官能」「勇気」などの倫理的な問題 で、足元にはスフィンクスに殺された男の死体が転がる。
夜/O.ルドン
1910年夏に、フォンフロワド修道院に居合わせた友人たちを描き込んでいる。左側の木の幹の右側、草の葉の下にセヴラック、そのセヴラックの頭ひとつ分先にルドンが描かれている。また、彼らが敬愛したシューマンの頭部が右の赤い花の上に描かれている。
石版画集『夢のなかで』 より「幻視」/O.ルドン
ルドンにとって、「目」とはアラン・ポーの「自然の理法によって万物に浸透する崇高な意思」という言葉の具現化であった。眼球の輝きの中に「永劫不滅の意思」や、知的推進力としての「理性」「英知」を備えている。ルドンの眼球が天界に向けられているのは上の世界への憧れである。
『エドガー・ポーに』より「眼は奇妙な気球のように無限に向かう 」/O.ルドン
この作品が描かれたときはパリ万博で気球が披露された時なので、それに影響された可能性がある。
アポロンの戦車/O.ルドン
「黒の時代」から天馬を多く描いたルドンだったが、その時代には自身と重ねて、飛び立てずに押さえつけられた天馬を描いていた。
グラン・ブーケ/O.ルドン
(三菱一号館美術館所蔵)
縦が248cmもある大作。ロベール・ド・ドムシー男爵の家に飾るために描かれた16枚の連作の内1枚。ルドンは花を「官能的」「神秘的」であると解釈していた。
大鴉/O.ルドン
かわいい。
悪の華/O.ルドン
ルドンの中の悪の華のイメージ。
ガラテイア/G.モロー
キュクロプスに同情心を持っていたモローは、彼を恐ろしい姿で描かなかった。また、彼は女性を描く時はいつも官能的ではない姿で描いており、そういう女性が苦手だったことがわかる。
キュクロプス/O.ルドン
こちらのガラテイアは全景の山と半ば一体化して描かれており、奥のキュクロプスに目が行くようになっている。当時の女性軽視という風潮もこの絵から見て取れる。
オフィーリア/J.E.ミレイ
ミレイの1番のヒット作。シェイクスピア「ハムレット」が題材で、ハムレットから捨てられたと勘違いしたオフィーリアは狂乱し、柳の木から落ちて死んでしまう。多くの画家が死ぬシーンを描いているが、本には死ぬシーンは書かれておらず、後で第三者の口から語られる。
オフィーリア/O.ルドン
彼の描いたこの作品は、どちらもオフィーリアより花にフォーカスされている。
オフィーリア/O.ルドン
ラスキンの肖像/J.E.ミレイ
ラスキンの妻エフィーと恋仲になるきっかけとなった旅行中に描かれた肖像画。この絵を描くのが辛すぎて、途中で全ての仕事を放棄までしてなんとか仕上げた。
プロセルピナ
/D.G.ロセッティ
奥の明るい色は、地上への扉が開いたところを描いている。また、全体が大きな「J」の形になるよう描かれている。モデルは愛人だったジェーンだが、この絵を提案してきたのはジェーンの夫、モリスであった。
良心のめざめ
/W.H.ハント
ラファエル前派を代表する絵画のひとつ。ヴィクトリア朝では娼婦というのは社会問題のひとつであり、ラファエル前派はそういったことを絵画の中で比喩的に扱った。絵の中には猫から逃げる小鳥や脱ぎ捨てられた手袋など暗喩がつまっている。
いちご泥棒/W.モリス
ロセッティと妻の不倫関係に気付きながらも、生涯そのことは口にすることがなかったモリス。しかしこの作品では「いちご泥棒」と暗に妻を盗むロセッティを描いている可能性がある。
フィリスとデモフーン
/E.バーン=ジョーンズ
展覧会に出したところ、「裸はよくないので服を着せてほしい」と注文され、「だったらいいです」と取り下げた作品。当時別れ話がもつれていたモデル、マリアから逃れる自身の状態を描いている。
祝福された乙女
/D.G.ロセッティ
若い頃にこの詩が作られ、絵はかなり晩年になってから、周囲の説得もあって描かれた。この絵を制作している頃自殺を図った(未遂に終わる)。ドビュッシーが曲をつけた「選ばれし乙女」は絵からではなく、詩からのインスピレーションで書かれている。7つの星はマリアの7つの悲しみ、3つの百合は三位一体を表す。
死の島/A.ベックリン
当初は「夢想のための絵」と呼ばれていたが、画商によって「死の島」と名前がつけられた。
死の島/A.ベックリン
(M.クリンガーによる版画)
ラフマニノフはこの版画を見て交響詩「死の島」を書いたが、「先にオリジナルの絵を見ていたらこの曲は書かなかった」と述べている。
『エドガー・ポーによせて』より「鉄の鐘」
/O.ルドン
ルドンの中の鉄の鐘のイメージ。
ちなみに、上野にある国立西洋美術館では下記の絵などが見られます。
入館料も500円と安いので、是非一度見てみてください♪
牢獄のサロメ/G.モロー
モローのサロメ作品の一つ。ヨハネの斬首が待ちきれずに牢獄まで来てしまったサロメ。画面左に、今まさに斬られんとするヨハネが描かれる。サロメの目線の先にはこれから首が乗せられる皿がある。階段には「魂」を象徴する小鳥が一羽飛んでいる。
愛の杯/D.G.ロセッティ
モデルはアレクサ・ワイルディング。後ろの4枚の皿にはアダムとイブや、彼らを象徴する鹿の絵、「しがみつく記憶」を象徴する蔦が描かれている。カップには♡マークが多く描かれており、この絵のタイトルとなっている。他にもケンタウロス、双頭の鷲などさまざまなシンボルが散りばめられている。
あひるの子/J.E.ミレイ
ラファエル前派離散後にミレイはこういった愛らしい子供の絵(18世紀後半にイギリスで流行った、子供や若い女性を仮装させるなどしてかわいく描いた「ファンシー・ピクチャー」というもの)を多く描いた。この絵はアンデルセンの「醜いアヒルの子」をモチーフにしていると考えられる。
演奏曲目
月の光/G.フォーレ
フォーレが作曲したヴェルレーヌの作品。ピアノパート(ハープが演奏)は片想いをする主人公、歌パート(チェロが演奏)はそれを知らずにいる女性コロンビーヌを表している。
月の光/C.ドビュッシー
フォーレのものとは違い、ドビュッシーが描き出した「月の光」は、見えてくる風景ではなく、そこに内包されていることを音楽によって描き出した。
パヴァーヌ/G.フォーレ
モンテスキューの従姉妹、グレフュール夫人に献呈され、のちに彼女の勧めからモンテスキューによる歌詞が後付けされた。
Galatea, dry thy tears/G.F.ヘンデル
ヘンデルの歌劇「エイシスとガラテア」の中の一曲。恋人が死んで悲しむガラテアを慰める曲。
無伴奏チェロ組曲第1番より「ボルドーネ」/B.ブリテン
全曲を通してハムレットのストーリーが描かれており、ボルドーネは狂気のうちに死んでしまうオフィーリアを表している。
選ばれし乙女より「プレリュード」/C.ドビュッシー
ロセッティの詩「祝福された乙女」に付けられた曲で、ソプラノ、アルト、女声合唱、管弦楽により演奏される。
合唱交響曲より「鐘」/S.ラフマニノフ
E.A.ポー「鐘のさまざま」を元に作られた作品。最後は魂が天に昇っていく様子が描かれる。