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コンスタブルの足跡

私ごとですが、ロンドンに行って参りました。

 

一番は、憧れのハーピスト、ユアン・ジョーンズ氏と去年連絡を取ることができ、「レッスン全然するよ!」とおっしゃってくださったので、じっくり計画を立てて受けてくることでしたが、その他にも色々やりたいことがあったのでしてきました。

 

 

ということで今回イギリスでやりたかったことの一つは、私が大好きな画家、ジョン・コンスタブル(1776-1837)の愛した地、ハムステッド・ヒースを訪れることでした。

 

ちなみに私が世界で一番好きな絵『虹が立つハムステッドヒース』↓

 

 

 

 

それまで絵画の世界では、宗教画や歴史画こそ至高!風景画?!は?!みたいな価値観でしたが、トマス・ゲインズバラ(1727-1788)やジョシュア・レノルズ(1723-1792)たちが(肖像画にうまく組み込んだりして)風景画を取り上げ、それらを「風景画も素晴らしい芸術作品!」という地位まで確立させたのがJ.M.W.ターナー(1775-1851)やコンスタブルでした。

 

 

風景画めっちゃいいじゃんなあ!!

 

 

イギリスのサフォーク州に生まれたコンスタブルは、生涯を通してイギリスの風景画を描き続けました。

幼馴染で恋人であったマリア・ビックネルと、向こうの親の反対に合うも無事結婚し、子供も7人持つぐらい幸せな家庭を築きましたが、1828年にマリアが結核で亡くなると画風はそれまでと変わり、荒々しい筆致のものとなりました。(この筆致が荒くなった後期コンスタブルが特に好きです)

 

このマリアが、サフォーク愛に満ち、風景画を描くことが好きなコンスタブルに勧めた地が、ロンドンの中心部から外れたハムステッドでした。

 

まずは、コンスタブルが1821-1822年、夏の間だけ過ごしたというお家。

 

 

 

 

 

ここのお家を描いた絵もサウス・ケンジントンにあるV&A美術館に残っていました。

(ちなみにコンスタブルの娘さんがこちらの美術館に絵をたくさん寄贈したそうです。)

 

 

 

 

この時友人に宛てた手紙には、「田舎と町の融合しているハムステッドへおいで」と書いて送っていますが、まさにハムステッドってそういう感じで、町のすぐ裏手に突然小高い広い丘が姿を表しました。

 

 

そしてコンスタブルが最後(1827~1837)に住んでいた家。

 

 

 

 

ちなみにこちらの家、今年の1月のニュースで売りに出ていると記事になっていたのですが、行ってみたらもう人が住んでました。

 

記事によると売価は4,995,000ポンド。

 

つまり日本円で967,698,833円。

 

 

えっちょっと待って9億?

 

フラット35でローン組んだらいくらなんだろう!!!

 

世界的著名人が住んでたということで値段が釣り上がってしまってるんでしょうね。

 

 

コンスタブルって生涯絵が売れることなく苦しい生活を送っていたので、今自分が住んでた家がこんなことになってると知ったらどう思うんだろうなと思いつつ、絵画の舞台・ハムステッドヒースへ。

 

 

 

 

 

…綺麗だけど何か違う。

 

調べてみると、「ハムステッド・ヒースの一番高いところからコンスタブルは絵を描きました。」とのことだったので、一番高いところ(どこだか知らんがな)を探して歩いてみること数十分。

 

 

 

 

ロンドン市街が一望できる丘へ到着!!!

 

 

 

 

 

完全に人がいないタイミングで撮れたと思っていたのに痛恨の1枚。(しかもこの1枚しか撮らなかった)

 

 

この角度からの眺めの絵で有名なのは、

 

 

 

 

『ハムステッドヒースから見たロンドンの火事』でしょうか。

 

1834年に起きたロンドンの国会議事堂の火事が絵になっていますが、コンスタブルはこの時息子とこの火事を見たそうです。

 

一方ロンドン市内のターナーは急いで船を借りてテムズ川からたくさんスケッチを取りました。(『ターナー 国会議事堂』で画像検索するとたくさん出てくるので是非見てみてください)

 

 

 

 

いや、だがしかし!!

 

 

 

 

違くない?!?!

 

 

別の角度のはず…と横を見てみて、一番ここに近いのが、ここ。

 

 

 

 

 

別の絵に描かれているものの、やはり違う場所。

 

 

しかしあの場所が見つからないことにも理由があって、実はあそこに描かれている池・ブランチポンドは絵を描かれた後に干上がってしまったんだそうです。

 

現在「コンスタブルが描いた池を復活させよう!」プロジェクトが進行しているそうなのですが、進行している様子は見られませんでした。

 

まあ、結局ここらへんのどこかから書いたんだな…と思って、とぼとぼと丘を降りて駅へと向かい、私のハムステッドへの旅は終わりました。

 

 

帰国して、もう一度しっかり、それでもコンスタブルが『虹の立つハムステッドヒース』をどこから描いたのか調べてみたところ、なんと帰りに私がとぼとぼ駅まで歩いたあの道だということが判明しました。

 

こういうところで、私が通り過ぎていく景色にももっと感動を覚える人だったらちゃんと写真も撮っていたのに、完全に「駅までの道」認定してしまっていたので写真も撮っておらず。

 

だがしかしそんな私に言えることは、それぐらい面影がなくて気が付かなかったということ!!

 

3Dで現地を見れるなんとかビュー的なものがあったので、そちらでかつてコンスタブルが立ったであろう位置から、描いた方向を載せると下記のようになります。

 

 

 

 

 

描いた向き。

 

 

 

 

私が見て写真で載せた方面は、地図で言うと真下のロンドン市内と、右側でした。

 

渾身のミス。

 

またいつか行って、しっかり見てこようと思います。

 

ちなみに写真を見た方でお気付きの方もいるかと思いますが、『虹の立つハムステッドヒース』に描かれている風車はここには実在していません。

 

この風車はロンドンの更に南、ブライトンに今でも史跡として存在している、1820年代に作られた風車が実際のモデルとなっています。

 

 

 

コンスタブルは妻マリアの病気療養のために1824-1828年にブライトンに移り住みましたが、その時に家族で見ていたこの風車のスケッチを多く残しています。

 

中でも現在V&A美術館に残っているこちらの水彩画

 

 

 

 

をそのまま『虹の立つハムステッドヒース』に移し、「家族の思い出」の象徴として残しました。

 

そして「虹」は「希望の象徴」という意味で書き込まれていますが、これはフランドルの画家ルーベンスの影響を受けています。

 

 

 

長くなっちゃった!!

 

ここまでお読みくださってありがとうございました。

 

LOVE CONSTABLE. 

 

 

(なんという雑な締め括りかた)